ワシントンD.C.1人旅(前編)
私は物心ついた時から、ずっとアメリカに行ってみたかった。
おそらくそれは、自宅のテレビをつければアメリカのニュースを耳にすることが多かったり、中学生になって英語学習を始めれば学ぶのはアメリカ英語だったり、アメリカの都市を舞台にしたドラマや映画を鑑賞する機会があったりしたことが理由なんだと思う。幼児ごころながらに、「アメリカは身近な国」「大人になったらアメリカに行ってみたい」という思いを抱いていたのだと思う。
その思いを胸に、2026年1月、とうとうその機会を設けることができた。
この大陸にたどり着くまでに、アジア・ヨーロッパ・中東・アフリカ・ラテンアメリカ・・・様々な地域を訪れ、どれも素晴らしい国・地域だったが、ようやく、あの憧れの国・アメリカの地を踏むことができた。
ここから先の何回か分の投稿は、1週間に渡ってアメリカの都市、ワシントンD.C.とニューヨークを訪れ、立ち寄った場所とその際に思ったことを私の記録として、まとめていきたい。

いよいよまとめるのですな。ワクワク。
歴史と記憶の街を歩く
アメリカの首都ワシントンD.C.は、想像していたよりもずっと静かで、そして重厚な街だった。
高層ビルが立ち並ぶニューヨークとは対照的に、視界の先には必ずと言っていいほど記念碑や歴史的建築が現れる。ここは、今を生きる都市であると同時に、「過去を語り続けるための場所」でもあるのだと、歩きながら感じた。

リンカーン記念堂:今も続く問いの中心に立つ人物
まず訪れたのはリンカーン記念堂だ。
ナショナル・モールの西端に位置するリンカーン記念堂へ向かう道は、連邦議事堂から一直線に伸びている。その中央にあるのが、リフレクティング・プールだ。
冬の澄んだ空気の中、静かな水面の向こうに白い建物が浮かび上がるように見える。巨大な神殿のようなその建物の中央に、静かに座るリンカーン像が置かれている。

リンカーンは、南北戦争という内戦のさなかに大統領を務め、奴隷制度の廃止を進めた人物だ。彼の演説文は壁に刻まれ、その大きさと内容に圧倒される。



ここが象徴的なのは、単に偉人を讃える場所ではなく、「自由と平等とは何か」という問いを今も社会に投げ続けている空間であることだと思った。
リンカーン記念堂は1922年に完成し、ギリシャ神殿を模した構造で建てられている。ここは単なる観光名所ではなく、1963年にキング牧師が「I Have a Dream」演説を行った場所でもあり、市民権運動や反戦デモなど、アメリカ社会が自らの価値観を問い直してきた舞台でもある。
この一直線の構図そのものが、過去と現在、理念と現実をつなぐ軸のようにも感じられた。


フォード劇場とピーターソン・ハウス:英雄の死が残された場所
リンカーンは、1865年、改革の途中で暗殺されている。
その現場がフォード劇場、そして亡くなった場所が向かいのピーターソン・ハウスだ。


観光スポットとしては非常に静かで、派手な演出もない。悲劇の現場でもありがながら、このフォード劇場は今も実際に公演が行われている現役の劇場である。


フォード劇場は歴史博物館として、見学することができる。館内の展示は、暗殺事件をセンセーショナルに描くのではなく、計画、実行、社会への影響までを時系列で追うことができる。
リンカーンだけでなく、加害者側や当時の市民の反応も含めて構成されており、事件を「個人の悲劇」ではなく、国家全体の危機として記憶する構成になっていることが印象的だった。

ピーターソン・ハウスにはリンカーンが息を引き取った部屋の再現展示もあった。家具の配置、壁紙の柄まで当時の記録に基づいて再現されているという。
英雄の最期を、過度に神話化せず、日常の中にそっと置いておくような展示の仕方に、この国の記憶との向き合い方を感じた。

ワシントン記念碑:人物ではなく理念を讃えるという選択
ナショナル・モールの中心に、まっすぐ空へ伸びる巨大な塔・ワシントン記念碑が立っている。圧倒的な存在感だ。
ただ一直線に立つ石の柱である塔は、英雄の像ではなく、抽象的な塔という形で人物を記念する。

初代大統領ジョージ・ワシントンを称えて建てられたこの塔は、高さ約169メートル。完成当時は世界一高い建造物だったという。
この記念塔の内部には当日券を入手して入ることができる。
エレベーターで展望台まで上がると、四方の一角に連邦議事堂が見える。議事堂とワシントン記念碑の間には、ナショナル・モールが一直線に伸びている。博物館と政府機関がナショナル・モールを挟むように並び、都市そのものが「制度の軸」を可視化しているような配置になっている。


連邦議事堂の反対には、遠くにリンカーン記念堂が見える。その間に広がるのが、リフレクティング・プールと芝生の広場だ。
ここでは、国家の式典だけでなく、デモや集会、追悼イベントなど、市民の声が集まってくるらしい。実際、滞在期間中にこの芝生の広場で市民がデモを行っている現場に遭遇した。
政治の中心と、市民の集まる空間が、一直線につながっているこの構造はとても象徴的だと思った。

また、展望台の一角から遠くに小さくホワイトハウスも見ることができる。記念碑から徒歩で辿り着ける距離にあり、体感としてとても近くに感じた。

ワシントンD.C.は、議会(Capitol)、大統領府(White House)、そして記念碑や市民の集う空間が、意図的に近接して配置された都市なのだ。

Japanese American Memorial:語られにくい歴史も、刻むという選択
個人的にとても心に残ったのが、Japanese American Memorialだった。
第二次世界大戦中、アメリカ国内では多くの日系アメリカ人が、国籍や忠誠心に関係なく強制収容された。その事実と、同時にアメリカ軍として従軍した日系兵士の存在を記憶するために建てられた記念碑である。


この円形空間の中央に立つのは、有刺鉄線に絡まった鶴の彫刻だ。鶴は日本文化では希望や再生の象徴でもあるが、ここでは自由を奪われながらも尊厳を失わなかった人々の姿を重ねているように見えた。

また、周囲の壁には、収容された人々や戦地で戦った兵士たちの名前が刻まれている。抽象的な歴史ではなく、「一人ひとりの人生」として記憶するための設計になっているように思う。

国家にとって不都合な歴史であっても、それを首都の中心にあえて残して語り継ぐ。そんな意思が感じ取れると思った。
日本人として、この記念碑の存在はとても重く感じられた。

記念碑が多すぎる街が語っていること
ワシントンの街を歩いていて思うのは、記念碑が非常に多いということだ。今回の滞在期間中には時間切れで訪れられなかった記念碑もたくさんある。
そこで感じたのは、ワシントンD.C.は、単に政治の中心であるだけでなく、国家の記憶を保存する巨大なアーカイブ都市だということだ。
この街では、過去がしっかりと記録されつつ、未来の方向性についても、常に問い続けられる構造が整えられている。

次回予告:制度と知が集まる街
ワシントンD.C.(前編)では、歴史と記憶に満ちた振り返りをまとめた。
後編では、連邦議事堂、議会図書館、スミソニアン博物館、そして開発金融機関の本部など、「制度を支える現場」を巡った記録を記していきたい。
次回は、制度と知のワシントンD.C. を振り返る。

